ブッダの言葉 - ウダーナヴァルガより ( 4 )

       ブッダの言葉 - ウダーナヴァルガ より ( 4 )

 
 
 
諸々の作られた事物は 実に無常である。 生じ滅びる性質のものである。
それらは 生じては滅びるからである。 それらの静まるのが安楽である。
 
この世においては、過去にいた者どもでも、未来に現れる者どもでも、
一切の生き者は身体を捨てて逝くであろう。 
智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな
行いを なすべきである。  
 
修行者らは、つとめはげむのを楽しめ。 よく戒めをたもて。 
その思いをよく定め統一して、自分の心をまもれかし。
 
神々は功徳をほめたたえる。 正しい行いをなす人は、この世で非難
される事がなく、また 死後には 天にあって楽しむ。
 
身体によって善いことを為し、ことばによっても 心によっても善いことを
するならば、その人は この世でも、また かの世でも幸せを得るであろう。
 
「 その果報は わたしには来ないであろう。」、と思って、善を軽んずるな。
水が一滴ずつしたたり落ちるならば、大きな水瓶でも満たされるのである。
気をつけている人々は、少しずつでも善をなすならば、やがて福徳に
みたされるのである。
 
怒りが起こったならば、それを捨て去れ。 情欲が起こったならば、それを
防げ。 思慮ある人は 無明を捨て去れ。 
真理を体得することから 幸せが起こる。
 
自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりも すぐれている。
つねに行いをつつしみ、自己をととのえている人、ーー このように明らか
な知恵ある修行者の克ち得た勝利を 敗北に転ずることは、神々も、
なし得ない。 悪魔も、梵天もなし得ない。
 
世の中は 泡沫のごとしと見よ。 世の中は かげろうのごとしと見よ。
世の中をこのように観ずる人は、死王も かれを見ることがない。
 
善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつの所で共に
喜ぶ。 彼は、自分の行為が清らかなのを見て、喜び、楽しむ。
 
諸々の欠点を断ち、ターラ樹葉の先のように根絶やしになり、憎しみを
のぞき、聡明である人、ーー かれこそ 「 端正な人 」、とよばれる。
 
森は楽しい。 世の人々は ここで楽しまないが、情欲のない人々は 
ここで楽しむであろう。 かれらは快楽を求めないからである。
 
すでに旅路を終え、憂いをはなれ、あらゆる束縛をのがれ、解脱した
気高い人には、悩みは存在しない。
 
世にあって、情欲を離れ、諸々の欲望を超えているのは、楽しい。
「 我がいるのだ 」、という慢心をおさえよ。 これこそ最上の安楽である。
 
重い荷物を捨てたあとには、荷物をさらに引き受けるな。 荷物を引き
受けることは最上の苦しみである。 荷物を投げ捨てることは楽しい。
 
心は、とらえ難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。 その心を
おさめることは善いことである。 心をおさめたならば、安楽をもたらす。
 
心が勇み、こころ楽しく、愛憎に打ち克って、喜びにみちた修行者は
苦しみを滅ぼすに至るであろう。
 
身は飾っていたとしても、徳を行じ、耐え忍び、身をととのえて、慎み深く、
行いが清らかで、生きとし生けるものに対して 暴力を用いない人こそ、
バラモンとも、道の人とも言うべきである。
 
福徳をも禍いをも超え、両方の執著をも超え、執著を超越して とらわれる
ことの無い人、ーー 彼をわれは ( バラモン ) と呼ぶ。
 
老人であろうと、若者であろうと、道理を識別している人を、尊敬して、
敬礼せよ。 ーー バラモンが火の祭りを尊ぶように。
 
来る者を喜ばず、去る者を悲しまず、執著から脱している、
戦場の勝利者、 ーー かれを われは ( バラモン ) と呼ぶ。