仏教について ( 1 ) 戒律

           仏教について ( 1 ) 戒律
 
 
昔、僧侶に近づいて、ある人が聞きました。
 
「 仏教って何ですか ? 」、
 
「 悪い事をせず、良い事をして、自ら 自分の心を浄める事、これが
 諸々の仏の教えである。」
 
「 そんな事なら、五才の子供でも知っているよ。」
 
「 五才の子供でも知っているが、八十才の大人でも、実行するのは
 むずかしい。」
 
ーー という対話があったそうです。
 
 
ーー ブッダ ( Buddha ) は、聖者の称号です。 
その意味は、( 真理から来た人、神々と人間を導く人 ) という意味で、
めったに この世に出ないとされています。   インドでは、過去に
六人のブッダがこの世に現れたと伝えられていて、私達が言うところの
ブッダは、七人目のブッダと呼ばれる事があります。 
ブッダの姓は、ゴータマです。

 

ブッダは、インドで活躍されましたが、生誕は現在のネパールにあった
シャーカ国の王子で、生まれた所も ネパールのルンビニーの園でした。
人種的には、我々日本人と同じ モンゴロイドです。
 
若くして 国を捨てて修行生活に入り、35才で悟りを開いて 説法の旅に
出られました。 やがて人々は、「 この世にブッダが現れた ! 」、と、多くの
国王や賤民にいたるまで、その説法を聞こうとして集まり始めました。
 
ブッダは、人々には、布施、持戒、昇天論 を説かれました。  つまり、
何物でも 分かち合い、いましめを守り、幸福に生きて、亡くなれば天上に
行く。 と、人々に教え、励まし、喜ばせたと、仏典には伝えられています。
 
( サンガ )、という出家修行者と 在俗信者の集団には、戒律がありました。戒とは、いましめ、自分に対しての誓いです。 つまり、怒りっぽい人は、
( 自分は怒らないにしよう )、と努めます。
律とは、これをやってはならないという集団の約束です。
 
現在の仏教僧には、245ほどの為してはならないという律がありますが、
ブッダ在世の頃には、もう少し少なかったと思われます。
これに対して、ブッダが在俗の人々に説いたのは、たった五つの戒です。
 
1、 人を殺してはならない。 たわむれに生きものを殺してはならない。
 
2、 他人の物を盗んではならない。 
 
3、 嘘をついてはならない。  法廷で偽証してはならない。
 
4、 男女共、浮気 不倫をしてはならない。
 
5、 精神を錯乱させるものを含飲してはならない。  麻薬とかですね。
   ちなみに ブッダは、在家の人に酒を飲むなとは説いておられません。
 
ーー これが在家の五戒です。
 
殺すな、盗むな、という事は、当時の戦国時代にあっては、当然、非戦
という事になります。 従ってブッダは、侵略軍が進軍する道に、一人で
座り込んで 、その軍勢を 追い返したという事実が 幾度かありました。
 
やってはならない という戒律を述べてきましたが、やるべき事もあります。
 
京都に 六波羅蜜寺という寺院がありますが、波羅蜜は、パラミター
( 完成態 )、の音訳です。 六波羅蜜は、人が為すべき 六つの項目です。
 
1、 布施。 平等に何物でも分かち合う事、托鉢の修行者を拒ばない事。
  財ある者は貧しい者に、知恵ある者は知恵を、力ある者は力を、布施
  する事。 平等覚です。  財なき者には、無財の七施があります。
 
2、 持戒。 自分に対する戒めを守って、心を清める事です。
 
3、 忍辱。 忍耐です。 人の心を我が心とし、仏心を育てるという
  修行です。
 
4、 精進。 日々の努力です。 誠心誠意をつくして生きます。
 
5、 禅定。 瞑想する事。 又、自分自身を客観的に見ます。
 
6、 智慧。 知恵とは、学歴や知識、頭の良さとは関係がありません。
  何が正しいかを識別し、正しく 真っ直ぐに生きていく事です。
 
 
ーー 仏教には、他の宗教には無い 多くの特質があります。
まず、神々の存在は認めるが、「 その権威を認めない。」 という事です。
自帰依 法帰依ですが、これについてはいつか説明しようと思っています。
 
これも仏教の 他に無い特質の一つですが、教義とその境地を、一つづつ
上に上がっていくのが 修行の方法です。
たとえば、( 慈悲 )、という言葉は、四無量心の 慈 悲 喜 捨 の略です。
 
慈、( いつくしみ )、を修養して自分の心にすれば、心は自然に 貧しい人、
苦しんでいる人、差別されている人達を救おうとして そこへ向かいます。
たとえば、浄土宗の聖者たち、マザーテレサ、等々 ・・・
これが、( 悲 )、です。
 
これを修養して自らの心にし、弱者を救済すれば、さらにその上に、( 喜 )
があります。  人々の喜びを 自らの喜びにする事です。
その境地に安住します。 
 
又、その境地を超越して、( 捨 )、に至ります。 
全てを捨てた 平安なる境地に至ります。
 
仏教では、( 捨 )、捨て去る事が教えとして よく説かれます。
一例ですが、仏教説話の ジャータカ物語の中にある話ですが ・・・・・
 
森の中に一匹の猿が住んでいました。  ある日、猿は壺を見つけます。
手を入れてみると 栗がたくさん入っているのがわかりました。
猿は喜んで栗をたくさん 手につかみました。 ところが今度は手が壺から
抜けなくなってしまいました。
 
猿は困って、このまま死ぬのかと思っていると、森のふくろうが飛んできて
「 その壺の中にある 栗をつかんでいる 君の手を放せよ。  そうすれば
助かるよ。」、と声をかけました。 そのようにして猿は救われたのでした。
 
 
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