ブッダの教え

                                                  ブッダの教え
 
 
 
 ーー ブッダの教えとか、悟りとは どういう事でしょうか。
 
ブッダは、戦国時代の戦争と 快楽主義全盛の世の中にあって、
反戦と、快楽の不浄、倫理、道徳を説かれました。
 
( 諸行無常 )、この世の物は全て移り行く。 心や肉体ばかりではなく、
 分子レベルで見れば 物質は絶えず動いていて、石でも結晶して 
 宝石や水晶になります。
 
( 諸法非我 )、この世では、体もふくめて 私の物というものは 何もない。
 自分の肉体も、何ものも 自分の思う通りにはならない。
 
( 涅槃寂静 )、最上の幸福とは、何ものにも動じない 不動の静寂である。
 
     ーー 以上の事を 仏教の三法印と言います。
         さらに、この世界の全ては苦しみである。 という

 

( 一切皆苦 )、を加えて 四法印と言います。 以上が仏教の根幹と
 されています。
 
生 老 病 死 の、この世は苦しみの世界である。 と ブッダは見ました。
 
「 三界を超えた境地を 私は見た。」、というブッダの言葉とか、たびたび
高弟を連れて天界に行き、神々にも説法をしていたという事があります
から、おそらく  一切皆苦という認識は、三界を超越した境地や 天界に
比べて この世は ・・・  苦。  と説いておられたのかもしれません。
 
在家の人々には、布施、持戒、昇天論を説かれた。 と、仏典には伝え
られています。
つまり、なにものでも 分かち合い、戒(いまし)めを守り、正しく 優しく、 
幸福に生きなさい。 そうすれば、他界した後 天界に生まれますよ。 
という教えです。
 
さらに出家して修行する弟子たちには、聖者となって人々を救う教えや
修行を指導しました。
在家より多くの戒律があり、瞑想、托鉢、六波羅蜜、八正道があります。
 
又、自帰依、法帰依。  ーー なにものにも頼らず 自分と真理を燈明と
しての修行を歩みます。
そして、一切世界に対しての 慈しみを守り、悟りを得て 他界後は輪廻を
脱します。 これを 解脱といいます。
 
そんな訳で ブッダは人々や信者達には、幸福の人と呼ばれていました。
多くの国王も ブッダに帰依していたのでした。
 
( 平等覚 )、今でもインドには 悲惨な階級差別がありますが、ブッダは、
 階級差別もふくめて、全ての差別を 完全否定しました。
 「 人間にとっては、生まれによる差別も 区別もない。 
  人間で違うのは、各自の名前だけである。」、と説かれています。
 
10円硬貨の表にある寺院は、京都にある平等院で、仏教の平等覚から
その名がついています。
 
 
ブッダの言葉に、「 世間のダンマ ( 常識 ) と、我々が知っているダンマ
 ( 真理 ) は、正反対である。 この理解し難いダンマ ( 事実 ) を見よ。」
 という説法があります。
 
たとえば 欲望を捨て去る事、慈しみの心を育てる事 等、多々あります。
 
これは その一例ですが、ブッダは 愛情に対しては、厭離 (おんり) する
ようにと 説かれています。 愛執(あいしゅう)、愛情に対する執着です。 
愛は苦になる性質がある。 という事です。 
たとえば 誰でも死にますから、愛している者の死は悲惨です。
 
これは、「 愛執を捨てよ。」、という教えです。 愛という概念には、常に
その対象 (対語) があります。 子供、家族、友人、自己、男女、国家 ・・・ などなどの対象があります。 愛国心は 悪人が持てば凶器になる。
ーー これは歴史が教える通りです。 又、自分の愛する対象以外には
それほどの愛情は持ちません。
又、愛し合っていた夫婦が、時が過ぎれば 愛は消えて 離婚する事も、
よくある話です。
 
これは、愛情を否定しているのではありません。 
愛情に対しては 執著しないで、少し心理的に距離をとろうという事です。
 
 
愛情の上に、ブッダは 慈悲を説かれました。 誰に対しても自分と
同じように、大切に いつくしむという教えでした。
 
慈悲、いつくしみに、対語はありません。 せいぜい無慈悲くらいでしょう。
その意味では、愛を超越した概念です。
これは、もちろん不義を許せという事ではありません。
 
慈、悲、喜、捨、 ーー これを四無量心と言います。
 
慈は、 一切世界の生きものを いつくしむという事です。
悲、は、 悲しみ 苦しみの状況にある人に対して同じ思いで悲しみ、
      救えるものなら 救うという事です。
喜、は、 人々の喜びを同じように喜ぶという事です。
捨、は、 それらを修習して 平安の境地に達する というものです。  
 
中村元博士は、「 世界の 平和、人々の幸福、平等が ブッダの悲願で
あった。」
と、書いておられました。
 
ーー 約二千五百年前に、ブッダが それらを説かれていた事を思えば、
私達人類は、歴史や 聖者の教えから、今まで何を学んできたのかと
考えずにはおられません。
 
 
 
 

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