アーナンダ - ( 2 )

                                           アーナンダ - ( 2 )
 
 
 
ーー 今を去る 約2500年前、インド地域は 戦国時代の乱世だった。
北西からは バラモン教を信奉する白人達が、 モンゴル地方からは
リッチャビ族が、 又、中央アジアからは シャーカ族 等々、色々な民族が
原住民だった ドラヴィダ族を侵略しながら それぞれの国を作り、国家間の
戦闘が絶えない時代であったと言われている。
   
世間一般には、 「 快楽を追及するのも 人生の目的である。」、とする
快楽主義が常識とされ、 恥も外聞もない 快楽主義が正々堂々と横行
していた。  今でも カーマスートラ という性愛の教科書が残されている。
  
思想面では、多くの思想家が輩出して それぞれの弟子を引き連れて
論争し合い、戦乱と論争の嵐であった。 
戦争や 快楽主義に嫌気がさした人々は 出家して、行者となり、ヨーガ、
苦行者など 修行を重ねて 崇高な境地を人生の目的としていた。
 
宗教面では、バラモン教ジャイナ教、アージーヴァカ教など多くの宗教
があり、ジャイナ教、アージーヴァカ教の人々は、 「 我ら聖者には 何も
覆い隠すべきものはない。」、として フンドシも身につけず 一年中真っ裸
で暮らしていた。 今でも南インドには2000人ほどのジャイナ教の修行者
がいて、 どこでも 真っ裸で歩きまわっている。
 
又、生まれによる 不当な階級差別による苦しみがあり、階級が違えば
結婚もできなかったのである。
司祭階級、武士、平民、奴隷階級、 さらにその下には 賤民階級があり、
この 賤民階級への差別は、 特に過酷をきわめた。
 
生まれによる階級が違う男女が恋仲になった場合は、「 あの世で一緒に
なろう。」、と 心中したり 夜中に 二人で家を逃げ出したのだった。
  
出家修行者となれば 男ばかりだった。  まさしく 男だけの世界である。
女性にとっては ジャイナ教などの裸は無理だし、虎やライオン毒蛇などは
どこにでもいる。  山賊や盗賊もたくさんいて、治安は最悪である。
出家修行は 野宿だから 快楽主義当然の世界にあっては身を狙われる。

ーー そんな中、ブッダが初めて女性修行者 ( 尼さん ) を迎え入れた。
それには こんな訳があった。
  
ブッダと その弟子一行が、ブッダ故国の シャーカ国で説法したあと、再び
旅に出かけた時のこと、ブッダの育ての親である 叔母の マハーパジャー
パティが、侍女たちと共に ブッダを追って来たのだった。
 
ブッダの説法に感動し 自分達も 出家修行がしたいと思っての事だった。
やっと ブッダ一行に追いついた彼女達は、ブッダの弟子として出家を
願いでた。  
 
しかし ブッダは、( 女性は在家のままで 修行するのが望ましいし、さらに
野宿はむずかしい )、と 彼女たちの再三の願い出を ことわった。
ブッダの侍者 ( 秘書役 ) の アーナンダは 誰よりも 心のやさしい弟子で
あった。
 
その アーナンダが 彼女たちの様子を見に行くと、 彼女達は皆 うち崩れ、
抱き合って泣いていた。 女の足で追って来たせいで、宮殿にいた時とは
ちがい、衣服は泥に汚れ 見るも無残なありさまであった。
 
今まで 一度として ブッダに逆らった事のない 誠実なアーナンダだったが
この時ばかりは たえきれず、ブッダのもとに行って、「 どうか、マハーパジ
ャパティ様を 弟子として お受け入れ下さい。 あなたを育てた叔母様では
ありませんか。」、と言って、この時ばかりは ブッダに逆らった。
 
ブッダが アーナンダに その訳を理解させようとして、理由を説いても、
アーナンダは さらに言った。 
 「 それでは、女性が悟りを得ることは できないのですか ? !!。」
 「 そうではない。」、 
 「 それならば、どうか マハーパジャパティー様 たちを 出家修行者として    お受け入れ下さい。 私からも お願いします。」、
このように、アーナンダは 再三して その願いをひるがえす事はなかった。
  
ーー  ついに ブッダは おれた。  その願い出を認めたのである。
  ちなみに アーナンダが、ブッダに逆らったのは この場面だけである。
 
こうして、後年 史上最初の世界宗教となった 仏教に、初めて 女性修行者
のグループが 誕生したのだった。
マハーパジャーパティー尼は、この後 修行を楽しんで やがて アラハンと
いう 聖者となり、多くの女性出家修行者を迎え入れて たくさんの女性弟子を指導したという。
 
ーー 女性 出家修行者の成り立ちは このようであった。
 
この出来事は、聖者アーナンダの やさしさと 心の強さであった事を、
忘れることはできない ・・・・・